2014年



ーー−11/4−ーー 車中泊の旅 


 先週このコーナーに記事をアップした東北旅行。四泊五日の旅となったが、有料宿泊施設に泊まったのは一泊のみ、あとは娘のアパートに一泊と、車中泊が二泊であった。この車中泊が、なかなか良かった。少なくとも、金輪際ゴメンだという印象は、私にはもちろん無いし、家内にも無かったようである。

 車は軽のワゴン車、ダイハツ・タント。昨年この車に買い替えた際、車中泊が出来ると言う事が条件の一つだった。後部座席を倒し、さらに助手席を倒すと、私でも体を伸ばして寝られる。運転席は完全には倒れないが、背が低い家内なら、足を延ばして横になるスペースが確保できる。

 この形で車中に泊まることを、最初に試みたのは、9月下旬の雨飾山登山だった。この時は、登山の前夜泊ということで、あまり重くは考えず、ほんのお試しという感じだった。それでも、快適に寝るために、荷物を上から吊り下げるなどの工夫をした。そして、改善点も見つかった。助手席は背もたれを倒しても完全にフラットにはならず、後部座席を倒した面との間に段差が出来る。その段差は、毛布や衣類などでかさ上げすれば良いと見込んだが、ちょっと寝心地が悪かった。そこで帰ってから、合板を使って腰までが平らになるような仕掛けを作った。

 その改善のおかげで、今回は快適に眠ることが出来た。寝床の40センチ×80センチの合板には、カーペットを張って体の当たりを良くした。それを裏返して、ガスコンロの風よけのための折り畳み式の板の上に乗せれば、低めのテーブルになる。そういう風に、少しずつ工夫を重ねていくのも楽しい。

 それにしても、車中に泊まるのは快適である。テントと比べれば、静かだし、濡れないし、暖かい。まるで御殿である。そして、旅館などに泊まるのと比べて、メリットもある。まずは費用が掛からない。それに、時間が自由になる。夜10時に着こうが、朝6時に発とうが、一切問題無い。それに、テレビなどの娯楽が無いから、つまり食事を終えればやる事が無いから、すぐに就寝となる。だから、睡眠時間を十分に取ることが出来る。従って、早出が可能になる。要するに登山と同じである。

 当初は、車内が狭くて、寝る時に荷物が邪魔になるのではないかと思った。しかし、たかが軽でも、車内には十分な空間がある。今回は、福島市のお宅に納品をするために、椅子を3脚載せて行った。初日の晩は、椅子と一緒に車内に寝たのである。それでも、何とか眠ることができた。運転席だけでも、天井まで積み上げるようにすれば、かなりの荷物が収納できる。着替えや生活用具くらいなら、これで十分である。テントと比べれば、格段に空間が大きいのである。

 どういう場所に泊まるかについては、私だけなら、一晩駐車できる所ならどこでも良い。しかし家内は、トイレが使える場所でないと困ると言う。従って、今回の旅行では、道の駅を利用した。道の駅には、入浴施設が併設されたものもある。そういう場所が見つかれば、ベストである。今回の二泊目はそうだった。入浴施設が無い場合は、近くに公衆浴場を探せば良い。道の駅があるような地域なら、結構近くに温泉があったりする。

 食事は、持参したガスコンロで湯を沸かし、インスタント食品を作って食べる。あるいは、コンビニで食べ物を調達してまかなう。今回はそのような感じで間に合わせたが、長期に渡る旅行なら、ちゃんとした調理をすべきだろう。道の駅で米を研いで焚き、野菜や肉を切って料理をするのが、今後の目標である。

 以前何かで見たのだが、ワゴン車を自分でキャンピングカーのように改造し、しょっちゅう長旅に出かけている熟年夫婦がいた。その自作のキャンピングカーがとても気に入っており、自宅に戻ってもついその車の中に寝てしまうと言う。それは極端な話だとは思うが、そのような心理も何となく理解できる。
 



ーーー11/11−−− 外部バッテリー


 
我が家の自家用車には、カーナビが装備されていない。そういう道具は必要無いと考えていたから、付いてない車種を選んだのだ。見知らぬ土地へ出掛ける場合でも、道路地図を見ながら行けばよい。地図には表わされていない、個人の住宅を訪ねる場合は、あらかじめ電話で問い合わせて道順を聞いたり、ルート図を書いて送ってもらえば良い。以前はそのようにやっていた。出掛けることがあまりない我が家としては、これで十分だったのである。

 最近では、先方の住所をインターネットのサイトに入力すれば、家の場所がマップに表示される。それをコピーして持参すれば、迷う事は無い。ずいぶん便利になったものだ。さらに、目的地周辺の、希望するポイントの景観もネットで見ることが出来る。交差点や曲がり角の目印となる物を、あらかじめ知ることが出来る。大都会の道路は、立体交差などがあって、平面の地図だけでは現地の状況を理解できない場合がある。そんな不安を解消するための予習ツールが、いろいろ揃っているのである。

 いったん便利路線に乗ると、弾みがついてしまうのか。スマホのナビ機能を使うようになった。最初は遊び半分だったが、そのうちに本気で頼るようになった。見知らぬ土地へ出掛けた場合、日中なら道路地図で十分である。もっとも地図が古くなければの話だが。ところが夜になると、難しくなる。地図は、周囲の状況と見比べながら使う物であるから、視界が利かない夜は、格段に利用価値が下がるのである。ナビなら、昼も夜も関係ない。

 車載のナビは使ったことが無いから、どんな具合か分からないが、スマホのナビは、なかなか一筋縄では行かなかった。私が使っている機種に固有の問題かもしれないが、しばしば正常に作動しないのである。肝心な場面で、そっぽを向かれたりした。困っている時ほど、裏切られたダメージは大きく、何度も臍を噛む思いをした。それでも、経験を重ねるうちに、扱い方が分かってきた。しかし、慣れでは解決できない問題があった。ナビを使うと、バッテリーの消費が早くなり、2〜3時間で電池切れとなってしまうのである。

 その問題への対応策は、「GPS機能をこまめに切る」であった。GPSがバッテリーを食うのである。しかし、この対応策にも限界がある。ワンポイントの目的地へ向かうなら、直前までGPSを入れないというのも可能だが、旅先を点々と移動する場合には、入れっぱなしにせざるを得ない。そんな状況では、2〜3時間はあっという間に過ぎてしまう。

 そこで導入したのが、外部バッテリーであった。自宅であらかじめ充電しておいて、スマホと一緒に持ち運ぶのである。スマホのバッテリー残量が下がって来たら、これに繋ぐ。そうすれば、かなりの時間に渡って支えてくれるのである。この心強さは、言いようがないくらいだ。そして、他の物にも充電できる。例えばウォークマン。外部バッテリーでバックアップして、カーオーディオに繋げば、これまた世界が広がると言うわけだ。

 その後知ったのだが、車の電源を使ってスマホを充電する装置が、極めて安価で市販されているらしい。誰でも困る事は同じであり、それに対する対抗策を考える人が、世の中には居るということだ。しかし、我が家の乗用車には、電源を取るシガーライターが付いていない。最近の車には、健康志向から、シガーライターがオプション装備になっているものも多いようである。

 この外部バッテリー、もちろん車の旅以外にも使える。ちょっと重いが(スマホの約二倍)、山に持って行けばバッテリー切れの心配をせずに山旅を続けられる。もっとも山でナビを使う事は無いが。
 



ーーー11/18−−− 嬉しい評価


 友人夫妻と、松本のレストランで食事をした。年に二回くらいのペースでやっている、お楽しみの会である。着席してすぐに、奥様がカセットテープが入った封筒を差し出した。少し前にお貸ししたテープで、この夏に私が出演したラジオ放送を録音したものである。私に戻しながら、奥様は「とても良かったです。この放送を聴いて、大竹さんの椅子なら何でも良いから購入したい、と言って来たお客様がいたそうですが、それも頷けると思いました」と言った。

 それに加えて旦那さんは、「たいへん興味深い内容でした」と言った。私が「どのような点でそう感じましたか?」と聞くと、こう答えられた「普通の木工家なら、こういう多彩な内容の話はできないと思います。一方、評論家やコピーライターだったら、似たような内容の話はしても、どこかで聞いたような語り口だったり、言い方が大袈裟で、わざとらしいものになってしまいがちです。その点大竹さんのお話は、自然で、率直で、下心の無い純粋さが感じられ、とても好感が持てました」。ちなみに旦那さんは、放送業界の方である。

 あのラジオ放送に関しては、多くの方々から好意的な反響を頂いた。そのほとんどが、わざわざ放送局へ問い合わせて、私の連絡先を知り、電話や手紙を寄こしてくれたのだった。また、評判が良かったということで、2ヵ月後に再放送もされた。正直に言って、これほどの反響があるとは思わなかった。これまで、雑誌や新聞に載った事は何度もあったし、ラジオに出演した事もあった。しかし、反響と言うほどのものは、ほとんど経験したことが無い。今回の出来事は、NHKのあの番組ならではの影響力だと思う。そのチャンスに恵まれた事を感謝したい。そして、そのチャンスを生かすことができて、幸いだった。

 私は30代半ばで会社員生活を辞し、木工の道に入った。その方向転換には、それなりの迷いと決断があった。だから、この仕事に対する思い入れは強く、出来るだけやりがいを感じ、充実感を持って暮らしたいと考えてきた。駆け出しの頃、誘われて「木の大学」に参加する機会を得、木の総合学に触れた。その体験から、木を使って物を作るだけでなく、地球環境における木の役割とか、人と木の係わりなどについて考える事が大切だと思うようになった。理系出身という経歴が、その方向性にピッタリとはまった。その点では確かに、職業として選択する際に、これといった思い入れも無しに木の仕事に就いた木工家とは、ちょっとスタンスが違うかも知れない。

 実際に仕事をしている人の話が一番面白い。それが私の持論である。木工の話を聞くなら、評論家の先生より、木工家から聞いた方が楽しいに決まっている。評論家は知識だけで語るが、木工家は知識だけで仕事をしているわけでは無い。肉体と、精神と、感性を駆使して物を作り出すのだ。その世界は、見た目よりずっと間口が広く、奥も深い。また、時には自分の身体を犠牲にしてでも行わなければならない、過酷な仕事でもある。評論家が、仮に豊富な知識と、巧みな話術で木の事を語ったとしても、実際にぶ厚い木の板を取り回した経験が無く、木の重さすら感じたことが無ければ、その話が軽く響いても不思議は無い。

 こんな言葉を思い出した。「知ると言う事は、感じると言う事の、百分の一も大切ではない」




ーーー11/25−−− 象嵌の取り組み


 下の画像は、線象嵌(木部に金属を線状に埋め込む装飾技法)の試作品である。この10月から取り組みを開始し、仕事の合間の時間に練習製作を続けている。これをメインにした作品というのは、私が主とするジャンルから外れると思うが、家具にワンポイントで使うという方向性は有り得るかも知れない。そんなことを考えながら、練習を重ねている。

 直径25ミリ、厚さ3ミリの円盤に、糸鋸で切り込みを入れ、厚さ0.2ミリに満たないアルミ板をはめ込む。極めて細かい作業である。この加工をしている最中は、3ミリという寸法がずいぶん大きく見えるほどだ。しかも純粋な手作業なので、繰り返し練習をしなければ上手く行かない。仕事の合間にこんな事をやっていては、巷の木工所だったら「金にならない事をやるな」と親方から怒られるだろう。たしかに、今すぐには価値を生み出さない行為である。しかし、どんなことでも、時間をかけて取り組まなければ、新しいものは出来ない。それをやるかどうかが、手間受け職人と作家の違いである。手間受け職人は、出来る範囲の事しかやらない、あるいはやらせてもらえない。新しいことは、時間のロスが大きく、採算が合わないからだ。

 この象嵌の方法を教えてくれた木工家K氏の話では、本当は銀の板をはめ込むのだそうである。しかし、私にとってはまだ練習の段階なので、高価な金属板は使えない。何か代用品は無いかと思案した所、缶ビールの缶の厚みが、ちょうど良いくらいであることを発見した。缶を切り開いて平らにし、カッターで巾3.5ミリの帯状に切り分ける。それを使ってみたところ、具合が良かった。銀の板を使ったことは無いから、比較はできないが、しなやかで綺麗に曲がるし、腰があるので、きついところに押し込む際に有利である。アルミ合金だし、ビールの缶だから、錆びて醜くなる事は無いだろう。

 線象嵌は、細い溝を掘って、金属線を埋めるという方法もある。それは、装飾だけなら良いが、擦れて摩耗するような部分に施すと、埋めた線が剥がれてしまう恐れがあるらしい。その点、今回取り組んでいる方法は、3ミリの深さで埋め込まれているので、剥がれる心配は無い。その利点を生かし、体が触れる家具の一部に使ったり、象嵌をした後に削って加工をするような部分に使うのが良いのではないかと思う。

 ところで、当初非常に難しく感じたこの工作だったが、ある方法を導入してから格段に上手く行くようになった。それは、パソコンで図柄を描き、プリントした紙を円盤に張り付けて、その図柄に沿って糸鋸で切るという方法である。作図に使ったのは、JWCadという建築製図用のフリーソフト。これを使うと、画期的に便利だ。まず、正確に細い線で図柄を描ける。特に繰り返し模様などは、手業では不可能な精度でなんなく描ける。拡大縮小も自由自在だから、サイズを替えて試すことができる。同じ図柄を複写するのはもちろん簡単。この方法を採用してから、見違えるほどそれらしい出来映えが得られるようになった。やはり、精密な作業においては、墨付けが重要なポイントなのである。

 この方法を思い付いた背景には、一つのエピソードがある。今から10年ほど前に、ある友人とパソコンについて話した。その頃は、私はまだパソコンに不慣れだったし、友人もパソコンが苦手であった。よく分からない者どうしが、パソコンを使った仕事は味気ないなどと話した。そのうち、友人は思い出したように、意外な事を言った。知りあいに著名な染織作家がいる。その人に、あなたの仕事にはパソコンなど関係ないでしょう?と聞いたら、「いえいえ、図案を描くのにパソコンはとても便利で、助かっています」と言ったとか。不定型な多角形などを組み合わせた繰り返し模様は、手作業で描くのは大変な手間が掛かるが、パソコンなら簡単に正確な図面が描けるというのである。

 専門家は、便利な道具はいち早く取り入れる。そういう事に気付かされた出来事だったが、それが今になって役に立った。

 念のため申し添えておくが、パソコンで描いた図柄を使ったからと言って、無機的、機械的な仕上がりになる心配は無い。糸鋸で切るのは、手作業だからである。図柄を丹念にたどって切る作業は、たとえほんの小さな部分であっても、多彩な原因から生じるゆらぎとの格闘である。同じ結果が得られる事は、十回やって一度もない。

 









→Topへもどる